《 prophetically 》 By. シガ



  あの頃は、その背中がとても大きく見えた。



 デーモンが『図書室』と呼ぶ部屋は、屋敷の中でやや日当たりの悪い一隅にある。
窓も、扉も、部屋そのものも、全てが縦に長く、壁の殆どは書棚に覆われているようだ。
形成された長方形の、ほぼ中央には使い込まれて磨き上げられた机と椅子が1脚ずつ置かれ、
敷き詰められた絨毯は、踏んだ感触が心地良い。常磐色の床から高い天井に届くほど大きな書棚は
年代物の、屋敷に相応しく上等な木製で、伝家の古書から職務に用いられる資料、
趣味で収集した文庫本に至るまで、多種多様な『図書』を所狭しと並べ立てている。
どういった法則に基づいてそれ等が納められているのか、他者には皆目検討つかないが、
所有者だけは、何処に何が入っているのか、きちんと把握しているらしい。
「‥‥っ、の‥‥。もうちょっと‥‥! ああ、駄目か」
 その、所有者であるデーモンが、ある書物を求めて精一杯背伸びをしていると、後ろから声がかかった。
「何やってんの」
 男にしては高く、女にしては低く、高音域に掠れたトーンを帯びる声の主は、いつからそこに居たのだろう。
1冊の本を片腕に携え、呆れたような表情をして、立っていた。少年期を脱しようとする彼のシルエットは、
まるでこの部屋に相応しくあつらえた如く、縦にばかり長い。
「ああ、ルーク。いやなに、この上の段にある、赤い背表紙の本を取りたくてな。指は届くんだが、
どうしても引っ張り出せないんだ。すまんが、そこの脚立を持ってきてくれないか」
「えー。重いから、やだぁ」
 重くて、動かすのが面倒くさいから、デーモンも何とかして脚立に頼らず、書物を取り出そうとしていたのだ。
しかし、届かないのだから、しょうがない。
「じゃあいいよ。自分で持ってくるから」
「てかさ」
 唇を、冗談めかして突き出したデーモンが動こうとするのを、ルークは歩み寄って制した。
「そこの、黄色っぽい背表紙が並んでる横の、赤いやつ、でしょ?」
 デーモンの頭上を指さし、軽く首を傾げれば、その動作につられて、艶やかな黒い巻き毛が肩口で踊る。
「オレが取ったげる。ちょっとコレ、持ってて」
 言葉と共に押しつけられた本は、デーモンが随分前に購った、やたら長い物語の一部であった。
貸してくれとせがまれた時には、この面白さが子供に理解できるのかと訝ったものだが、
どうやら心の琴線に触れるものがあったらしい。
 上方を見据えた横顔は、やや面長で、青い文様を戴いている。その、中性的な造作は、
成体になればきっと美貌を謳われるだろう。
 うんしょ、と腕を伸ばしただけで、ルークは、デーモンが目的としていた書物を手に取った。
「はい」
「ああ、ありがとう‥‥」
 手元の本を交換しながら、いつの間にか身長が追い越されていたことを思い知らされ、
デーモンは複雑な心境だった。昔は、あんなに小っちゃかったのに‥‥、というやつだ。
「なに」
 心境をそのまま表した眼で凝視されていることに気づき、ルークが顔をしかめてみせた。
「ルーク、‥‥背、伸びたよね」
「そりゃ伸びるよ。オレ、まだ成長期終わってないもん」
 悪魔の成長スピードは個体によって千差万別。発生した時から成体になっている者もあれば、
幼体のまま数十万年を過ごす者もあり、変身能力を用いて誤魔化す者もいる。外見だけで悪魔の実年齢を
推し量ることが出来ないのは、その為だ。ここに居並ぶ2名にしても、発生年は殆ど変わらない。
 今のルークは、人間に喩えれば15歳くらいで、外見に相応しく多感な時期を迎えている。
対するデーモンは、二十代の青年、といったところか。並んで立てば傍目に兄弟のような印象を与えるが、
出会ったばかりの頃は若い父親と早い子供ほど、外見上の年齢差には開きがあった。
「初めて会った時には、自分よりうんとお兄さんだと思ってたけど、‥‥そうでもなかったんだね、デーモンって」
「どういう意味だ?」
「んー? 別にぃ?」
 むくれてみせるデーモンに対し、ルークはにやにやと、満足げな笑みを浮かべたものだ。
「対比の問題、ってやつだよ。そんじゃ、これ、借りてくね」
 とってつけたように告げると、少年は手に持った本をひらひらと振って、部屋から出て行った。



 ‥‥事の顛末をデーモンから聞かされた男は、くすくす、と笑みを零した。

「そんなに面白いか?」
「面白い、っていうか、‥‥いや、別に、デーモンのこと笑ってるんと違うよ?」
「当然だ」
 デーモン邸の応接間で、3名掛けの長椅子を占有した男は、先程ルークが本棚から取り出した物を、
膝の上に広げている。
「あの、小っちゃいのが、そんなに大きくなったんだぁ、って、思っただけ」
 子供のように無邪気な笑いを引っ込めて、和やかな頬笑みにすり替えた男は、亜麻色の、如何にも
柔らかそうな髪を揺らして、座り直す。一連の仕草は滑らかで、赤と黒の文様が与える印象と相まって、
彼を山猫のような生き物として、見せた。
「それより。おまえが見たいと言ってた資料は、それで、合ってるのか、ジェイル?」
「ああ、うん。ちょっと待って」
 手元に目線を落とした途端、真剣みを帯びた表情は、どこか老成した雰囲気さえ、ある。
悪魔だから当然、と言ってしまえばそれまでだが、すらりとした容姿はまるっきり年齢不詳で、
ただ外見上は男性の成体であるという、ばかり。
「‥‥‥‥。これでいいみたい。ありがと」
 尾が分かれるまで年を経た白猫と、目が合った。
 と、デーモンは感じた。
 はっと息を呑んだ気配が、伝わったのだろう。開いた頁から顔を上げた姿勢のまま、
ジェイルは幼い子供の仕草で、首を傾げる。
「どうかした?」
「いや‥‥。どうもしない。
 ところでさ。そんな古い資料を引っ張りだして、何に使うの、とか、訊いてもいい?」
「ああ、これは、‥‥。う〜ん、と‥‥」
 ジェイルが、持っていたら見せて欲しい、と言ってきたのは、ある惑星に関する調査結果を纏めて冊子にした、
古い報告書のひとつだった。特定の地域に的を絞り、風土から動植物の生態分布、神による干渉の度合いや、
悪魔が干渉することによって生じると予想される状態の変化などを記録したものである。情報の鮮度は悪いが、
受け取り方次第では興味をそそる読み物と言えるだろう。
 魔界において、凡そ『公式記録』と称されるものは、中央情報局の書庫まで出向けば、閲覧できる。
だが、出入りするのに手続きを要すること、そして何年何月何時何分何秒に何処の誰それがこのようなものを閲覧した、
という記録が情報局に残ってしまうことを、ジェイルは「面倒くさいやん」と断じて厭がり、滅多なことでは足を運ぼうとしない。
 入退時の手続き、と言っても、決して煩雑な類ではないから、おそらく前者は建前で後者が本音、だろう。
閲覧記録は場合により、中央情報局長官であるエースの目に入る。何を思ってかは知らないが、
どうやら、手の内を見せたくないらしい。
「まあ、オレの趣味だと思っといてよ。半分は本当だから」
 ジェイルが言葉を濁すときは、大抵、『仕事』が絡んでいる。
 後ろ暗い事は何もない筈なのだが、ジェイルはデーモンに対して、自分のキタナイ部分を見せたくない、
という意識があるようで、話がそちらの方面へ進むと、決まって、困ったように微笑うのだ。
「じゃあ、オレ、そろそろ戻るわ」
 互いに居心地の悪さを感じて、デーモンが他の話を振るよりも早く、ジェイルは席を立とうとする。
 デーモンは、ただ、そうか、とだけ答えて腰を上げた。
「まったく、誰も彼も‥‥」
 デーモンを取り巻く環境は、彼を別格扱いしたがる連中によって形成されている。
此処にいる彼は『デーモンという名を持つ一悪魔』にしか過ぎないというのに。
「何か言った?」
「独り言」
 贅沢な悩み、というものだろう。他者に、それも当事者である相手に聞かせたとて詮無きことだ。
「ああ、そうだ。ルークに会ってく?」
「‥‥いや。遠慮しとくよ。いずれ会うことになる、でしょ? だから、そん時で、いい」
 機が熟すまで、楽しみはとっておきたいから、とジェイルは微笑い、呟くようにこう続けた。
「会って最初は好かれないだろし、ね」
「何故、そんな風に思うのだ? 確かにルークは、少々魔見知りをするきらいがあるが」
「だって、すんげぇ堕天使嫌いなんでしょ? それから言ったら、オレなんてサイアクじゃん」
 そんじょそこらの大悪魔より、よほど悪魔らしい性分を持ち合わせている元・大天使は、いよいよ虫の居所が
悪くなってきたようだ。かろうじて維持された営業スマイルの、目元も険しい気配である。
「ありゃ、食わず嫌いみたいなもんだ。それに、おまえさんは全く初めて会うんでもないんだし、
吾輩と一緒なら、そう邪険にはされないぞ。‥‥たぶん、な」
「初めて会ったんじゃないってことを、ルークが覚えてれば、まだ脈はあるだろうけどさ。
難しいと思うぜ。こないだ、雷帝さんのとこのチビすけに会ったけど、アイツはすっかり、オレのこと忘れてたもん」
 思いがけない台詞に目を丸くして、デーモンは並んで歩くジェイルを見上げた。
「ライデンに会ったの? それ、いつ?」
「いつだっけなぁ。わりと最近。ゼノンのところへ遊びに行ったら、いたんだよ。チビのくせして、やたら食うのな。
あれ、口から入れたの、どこに収まってんだろ?」

  ――― その、胃袋にブラックホールを飼っているかのような少年が、成年になってからの長い時間を
共に過ごすと、この時の彼等は、まだ知らなかった。



 あれは、ほんの数千年前のこと。
 ルークは今より小さくて、デーモンは今と殆ど変わらない姿で。
 初めて会った『デーモン一族の頭領』は、まだ幼かったルークにとって、とても大きな存在だった。
周りの誰よりも偉いのに、まだみそっかす扱いしかされない自分と真剣に遊んでくれることが、正直に嬉しくて、
子供心に誇らしくもあった。役者顔負けの達者な調子で、面白可笑しく絵本を読み聞かせて貰ったこともあった。
時々、ものすごく叱られた。
 憧れ続けた対象が、実は想像していたよりもずっと小さかったことに気づいて、ルークの胸は微かに疼いた。
たった、あれだけの面積しかないのに、他の誰より多くのものを背負っているのだ。デーモンは。
 身長だけは追い越したけど。取っ組み合いに持ち込めば、きっとその場では勝てるけど。
 どんな重圧にも負けない、あの背中には、いつになったら追いつけるだろう。
 時の流れに従って、中身だってそれなりに成長した、つもりだったのに。
「‥‥これじゃ駄目だ」
 続きが気になっていた筈の物語を紐解こうともせず、ルークは両腕で抱えたクッションに顔を埋める。
 天の邪鬼よろしく憎まれ口を叩いているうちは、夢を叶える、なんて出来ない。
 自分は、これからもうちょっと大きくなる。大きくなったら偉くなって、誰にも文句を言わせない。
 それだけの悪魔に、ならなければ。
 デーモンの隣に並んで立って、一緒に同じ夢を見る。
 それが、ルークの夢なのだから。

  ――― この『夢』が『目標』となり、『現実』となるのは、まだ先の話である。



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当館の「来館19000番」を獲得されたシガさんに、キリリク絵を献上したところ、
その絵をもとに素敵な御話しを書いて下さいました!。(嬉) シガさんの書かれる
小説のファンとしては、嬉しいばかりでなく、頂いた話から更に景色が浮かんで、
絵描き魂をくすぐられてしまうのが、また心憎いのであります。(笑)
(和尚ん家で大食いしてる若殿下に呆れる代官と和尚の図、とかネ)
シガ様、ありがとうございました!。 これからも楽しみにしております。(笑)


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